日本できめ細かく当り前と感じるサービスも、外国へ行くとサービスそのものが存在しないときもある。
日本人が期待しているサービスは外国では皆無に近い、と思ったほうがいいかもしれない。
どんなトイレにも必ず紙が用意されていたり、自動ドアと勘違いしてガラスのドアの前で開くのを待つのは、あまりにも日本的な感覚だ。
逆に、日本的なサービスはさっぱり受けられないが、日本ではありえないサービスやもてなし(ホスピタリティー)を外国で感じるときがある。
グローバルスタンダードって、どんな国でも通用するサービスってことなのか?(ネットで意味を調べると:「世界で通用する標準や基準」のこと)
ゴルフを終了したとき、サービス料として彼女たちは各100元(約1500円)をチップであげるとと本当に喜んでいた。
18ホールとも4人のキャディーがTショット上でそっと見守る。しかし、打った瞬間素晴らしい打球が空に向かうと4人のキャディーに一斉に「ナイスショッ ト、素晴らしい!」と叫ぶ。そう叫ばれたら誰でも気持ちが良くなる。
写真のように彼女たちがカートに乗る位置は、後部の立ったまま走行する非常に危険な状態。しかし、「大丈夫。ぜんぜんOK!」と元気よく答える。
そして、最終日空港に行こうとしたとき、大きなスーツケースが車のトランクに収まらない。
トランクのドアを閉めることができないので、紐で縛るくらいのことをするかとおもったら、「不要、不要」(プーヨ、プーヨ)と、聞こうとし ない。
急ブレーキでもかけようものなら、いつ落ちるか分からない危険な状態。パタパタと加速するたびトランクの上蓋が上下することにハラハラしながら、何とかで 空港まで、2つの大きなスーツケースは運ばれた。
ゴルフのカートといい、スーツケースといい、日本人にはとても理解できない感覚。
しかし、日本人が理解できなくても、多くの外国人が「No ploblem」って言うなら、日本人の感覚がおかしいということになる。
外国へ行って感じることは、交通が発達してますます世界が狭くなっていく中で、日本だけが取り残されているのではと感じる。
アジアは、日本を教科書を手本に、死に物狂いで勝利を手にしようとしている。
中国式がグローバルスタンダードになるとは思わないが、数の論理で日本の文化がグローバルでは負ける可能性もある。
日本人だけが自分たちの基準で満足を求めるなら、日本が世界の先進国から脱落する日は近いかもしれない。
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2005年07月12日(旧楽天のブログ サイトより転記したものです)
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