2010年12月18日土曜日

江戸の情緒 駒形どぜうは1801年に開業。依頼200年以上にわたって鰌料理を提供。

プリプレスセンター東京本社から歩いて15分。浅草にほど近い駒形に江戸の佇まいの建物がある。そこは「どじょうの料亭」。下記にあるように、歴史と伝統のある店だ。
コンベンションのユニークベニューとしても使えそうな場所だ。
味は思ったほど、川魚の臭みがなく、醤油ダレと七味、山椒がよく合う。
http://www.dozeu.com/dozeu_fl/rekishi/rekishi.html

200余年の歴史「駒形どぜう」の創業は1801年。徳川11代将軍、家斉公の時代です。初代越後屋助七は武蔵国(現埼玉県北葛飾郡)の出身で、18歳の時に江戸に出て奉公した後、浅草駒形にめし屋を開きました。当時から駒形は浅草寺にお参りする参詣ルートのメインストリートであり、また翌年の3月18日から浅草寺のご開帳が行われたこともあって、店は大勢のお客様で繁盛したと言います。

初代が始めたどぜう鍋・どぜう汁に加え、二代目助七がくじら鍋を売り出すなど、商売はその後も順調に続きました。嘉永元年(1848年)に出された当時のグルメガイド『江戸名物酒飯手引草』には、当店の名が記されております。

やがて時代は明治・大正・昭和と移り変わり、関東大震災、第二次世界大戦では店の全焼という被害を受けます。しかし多くのお客様のご支援と先代の努力もあって、江戸の味と建物は現在の六代目へと引き継がれております。これからも変わらぬ美味しさと江戸情緒を伝えるおもてなしで、お客様をお迎えしてまいります。

「江戸名物酒飯手引草」

のれんの由来
仮名遣いでは「どじょう」。もともとは「どぢやう」もしくは「どじやう」と書くのが正しい表記です。
それを「どぜう」としたのは初代越後屋助七の発案です。
文化3年(1806年)の江戸の大火によって店が類焼した際に、「どぢやう」の四文字では縁起が悪いと当時の有名な看板書き「撞木屋仙吉」に頼み込み、奇数文字の「どぜう」と書いてもらったのです。これが評判を呼んで店は繁盛。江戸末期には他の店も真似て、看板を「どぜう」に書き換えたといいます。 200余年の歴史を刻む、当店の大事なのれんです。




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