「学士会館の歴史」
学士会館の発祥は古く、明治 10年東京 大学の創立から明治19年に帝国大学が設立されるまでの間、当時の東京大学綜理であった加藤弘之先生の謝恩会を機に創立された学士会に端を発します。のち に、旧帝国大学(現在は国立7大学)の同窓会組織に発展した学士会会員の交流の場として建設された会館が、大正2年の神田三崎町で発生した大火で焼失し、 さらには大正12年関東大震災によって仮会館も焼失したため、昭和3年、東京大学発祥の地に再建されたのが現在の学士会館です。この地は日本野球発祥の地 でもあり、同志社を建学した新島襄の生誕の地でもあります。プライベートな会員のための施設として発展してきた会館ですが、現在では会員以外の多くの方々 にご愛用いただいております。
学士会館は、関東大震災後に建築された震災復興建築となります。設計したのは日本橋高島屋や帝国ホテルの設計者として名高 い建築家・高橋貞太郎氏。平成15年1月には国の登録有形文化財にも指定されています。当時としては珍しい鉄筋コンクリート造りで、基礎には松杭が使用さ れています。近年行われた松杭の調査では腐朽は全く見られませんでした。その際切り出された松杭の一部は、現在、会館1階の談話室に展示しています。
長い歴史のなかで、様々な出来事もありました。ニ・二六事件の際には、第14師団東京警備隊司令部が置かれ、太平洋戦争時 の大空襲の際には、タイルの損傷等のみで焼失を免れました。また、戦後はGHQに接収され、将校クラブとして使用されるなど、激動の時代を歩んできました。
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