2010年8月28日土曜日

全国印刷緑友佐賀大会に参加しました

第52回を数える大会。今回も約180名が参加し嬉野温泉で開催された。
印刷業界がどんどん小さくなっていく中で、どう生き残るか?を考えヒントを学んだ。
久しぶりに会う友人や知り合いと、本音で語り合う機会は本当にありがたい。


嬉野温泉についてwikiで調べてみた。
町の中心地に湧く温泉地で、九州でも有数の大温泉街である。嬉野川を挟んで大小50軒近くの旅館が軒を並べ、その中には第38回全国植樹祭の際に昭和天皇が宿泊した和多屋別荘等がある。また、嬉野の中で最も古い旅館は天保元年に創業した旅館大村屋といわれる。商店街中心部の足湯広場には、「シーボルトの足湯」があり、無料で利用できる。そのほど近くには大正13年にドイツ人の設計で造られた公衆浴場「古湯」があったが、老朽化と2005年3月20日に発生した福岡県西方沖地震の影響により取り壊された。しかし、2010年4月1日に、当時の設計通りに建て直され、新名称「シーボルトの湯」として再開された。
美肌の湯とも呼称される嬉野温泉は、飲用にも適しており、中でも温泉を使って炊いているという温泉湯豆腐は嬉野を代表する名物である。また、嬉野市においては「湯どうふ」として表記されており、『嬉野温泉湯どうふ』の名称は嬉野市により商標登録されている。

○歴史
・温泉街
歴史は非常に古く、神功皇后の西征にまで遡る。その帰途に白鶴を見付けたが、傷を負っていて心配していたところ、河原に舞い降りて湯浴みをすれば、再び元気に去っていくのを見て「あなうれしや」と感想を述べたという。嬉野という地名は、この逸話に因み、嬉野は元々「うれしや」と呼ばれていたとされる。
また、和銅七年に記された肥前国風土記には万人の病を治す名湯として嬉野の名が挙がっている。
江戸時代には長崎街道の宿場町として栄え、多くの往来があった。その中で『和漢三才図会』や『江戸紀行』などに嬉野温泉の様子が記され、この頃から歓楽温泉としても知られていたようである。
戦後は福岡都市圏の奥座敷として栄え、西の別府といわれるほど歓楽温泉として名を馳せた。だが、各の温泉旅館は風格が調っており、それぞれが趣を持った風呂を持っている。また、イベントも多く実施されているが、他の温泉地と比較すると、新たな施設の投入は少ない方である。
嬉野市の旧嬉野町では、古くから茶が栽培されている。そのため、嬉野市や観光協会では、「お茶といで湯の」温泉地であることを積極的に宣伝しており、両者を結びつけた様々な取組みも行っている。

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