2005年5月23日月曜日

年賀状と電子メール

今週読んだ本はエッセイ集で年賀状について書かれていたので紹介します。

「年賀状」
有吉 玉青さん=作家・読売新聞生活面「よむサラダ」16・1・4
を引用させていただきました。

今年の年賀状の発行枚数は、過去最高だったそうである。電子メールも定着し、普段手紙を書かなくなって年賀状くらいはと考える人が増えたのか。あるいはパソコン、またデジカメの普及で意匠を凝らすのが楽しい上に、書く手間がかなり省けるようになったためだろうか。
文面もさることながら、宛名もまたパソコンで印刷されてくるものが多く、年々、年賀状はDM(ダイレクトメール)の風情を呈してゆく。
出す相手の住所録がパソコンに入っているのだ。私は文面こそ簡単な祝詞を印刷するが、一時の入力の労を惜しむがために住所録は作成していない。ために年末は宛名を含めた年賀状書きに追われることになるのだが、そんな中、少し前のこの季節を懐かしく思い出す。
真新しい年賀状を前にして、さて誰に書こうと考える。相手の顔を思い浮かべながら、一枚一枚年賀状をしたためる。
そして元旦にポストを開けてみると、来てほしい人からは余り来ず、来たのは書かなかった人からばかり。苦笑しながら、世の中ってこんなものかなあ、と思った。思う人に思われず思わぬ人に思われるという世の摂理(?)を、毎年、年の初めに認識したのである。
このごろは、そんなことも少なくなった。旧年に新しく知り合った人はさておき、年賀状をくださる方はもう大方決まっている。
出すほうも楽といえば楽だが、年末、その年にいただいた年賀状を見ながら書いているうちに面倒くさくもなってくる。先方のパソコンに住所が登録されているだけじゃないか。一言も添え書きのないものに至っては、自動的に送られてくるのだから、こちらは出さなくてもいいのではないかと思い始める。
かくして年賀状を書き終わらぬまま越年。1月1日「DM」がくる。それでも、もらうと嬉しいのが年賀状だ。出さなかったら来年から来ないかもしれない。パソコンの名簿から抹消されるかもしれないと思うとやおら寂しくなって、松の内はひたすら年賀状を書くことになる。人とは、たとえ年賀状のやり取りだけであろうともつながっていたいものだという思いを、自分のうちに改めてしる。
この発行数の増加は、人と人とのつながりが希薄になっていると言われる昨今、無意識に抱かれる危機感のあらわれでもあるかもしれない。そんなことを思う。


藤田より。>電子メールから学ぶことは、メールの返信を出さないと段々とメールは激減していくことだ。見たくもない広告のメールばかりが増えていく。本当に付き合いを継続していきたい人とは、やはりメールなり、年賀状なり返信が必要ではないか。年賀状は減る市場は分かっている。しかし、日本人にはとても重要な文化であることは間違いない。以前と違って、同じデザインを使用して全員に送付するのではなく、それぞれの関わりに応じて個性を主張する年賀状が増えている。デザイン数NO.1の プリプレス・センターの年賀状サイトはこちら
→http://cardbox.jp/



2005年05月23日

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