2010年4月30日金曜日

都市として発展するクアラルンプール



wikiによればクアラルンプールの概要は、下記の通りとなる。
クアラルンプール
(ラテン文字Kuala Lumpur, ジャウィكوالا لومفور)はマレーシアの首都で、東南アジア有数の世界都市。マレー半島南部の丘陵地帯にある。一般的にKLと略して称される。
○地理
面積     
     市域     243.65km2(95.18mi2)
標高     21.95m(72ft)
○人口
人口     (2007年現在)
     市域        1,887,674人
      人口密度       7,388人/km2(18,912人/mi2)
     都市圏       7,200,000人
○概要
クアラルンプールはマレー語で「泥が合流する場所」という意味があり、市中心部にある代表的なモスク「ジャメ・モスク」の付近で、ゴンバック川とクラン川が合流していることが基になっている。正式には「連邦領クアラルンプール」(Wilayah Persekutuan Kuala Lumpur)と称し、中国語では「吉隆坡」と記される。なお、現在首都機能を市郊外南方の新行政都市プトラジャヤ(Putrajaya)へ移しており、2010年には移転が完了する予定である。

多民族が平和的に共存するマレーシアの首都らしく、多彩な文化が混ざり合ったことがかもし出す賑やかな雰囲気が特徴である。近年は高速道路や市内鉄道、モノレールなどのインフラ開発が進み、豊かな緑の中に高層ビルが立ち並ぶ東南アジア有数の近代都市となった。また、東南アジアの大都市には珍しく、市街地が清潔で治安がいいことも特徴である。

2008 年、グローバリゼーションと世界都市の研究グループおよびネットワーク(GaWC)により、ソウルやマドリードなどと同ランクの第1級世界都市に選ばれている。

○歴史
クアラルンプールは中国人の植民者によって、スズの採掘拠点として1857年に開発された。彼らはクラン川とゴンバック川の合流点に落ちつき、そこをクアラルンプール、すなわち「泥が合流する場所」と呼んだ。イギリスに支配された1873~1957年のうちに、スズとゴム産出の中心として発展し、1874年にイギリスの政治介入をスルタンに了承させる内容のパンコール条約を締結。1896年にはイギリスによって統合された、イギリス保護下のマレー連合州の首都となった。第二次世界大戦中の1942年、イギリス軍が日本軍によって制圧されるクアラルンプールの戦いによって、クアラルンプールは日本の統治下に入ったが、1945年の終戦によって再びイギリス統治になった。1957年8 月31日、マラヤ連邦がイギリスから独立してクアラルンプールはその首都となり、1963年にマレーシア連邦が結成されてからも同国の首都の座を維持した。1974年、スランゴール州から分離してマレーシアの直轄地域となる。その後もマレーシアは順調に成長を続けていたものの、1997年にタイから始まったアジア通貨危機で大打撃を被った。これは第二次世界大戦以来、右肩上がりの成長を続けていたマレーシアが初めて体験する大きな試練だった。その翌年1998年は、クアラルンプールがアジア・アフリカでは初のコモンウェルスゲームズの開催都市となり、これがマレーシア国民の自信をいくらか取り戻すきっかけとなった。1999 年、首相官邸が新行政都市プトラジャヤに移転した。

クアラルンプールは、今や都会である。
日本人の意識とは乖離あるような気がする。 
多くの市民が英語を話すことができる。
日本のガラパゴス化をさらに実感した。

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